人工知能はいつ実現するのか :意識状態は脳の低次プロセシングにより生じる

人工知能」という言葉は1956年に生まれました。ダートマス・カレッジのジョン・マッカーシーと、ハーバード大学のマーヴィン・ミンスキーと、IBMコーポレーションのナサニエル・ロチェスター、ベル電話研究所のクロード・シャノンが、次のように述べたのです「1956年の夏の2か月間、人工知能の研究がニューハンプシャー州ハノーヴァーのダートマス・カレッジで10人の研究者によって行われる。学習のどんな側面も、そのほかの知能のいかなる特徴も、原則として非常に厳密に記述可能で、それをシミュレーションする機械を製造することができるという推測のもとに、この研究は進められることになる。この試みの目的は、機械に言語を使用させたり、抽象概念をはじめとする概念を形作らせたり、現在は人間にしか解けないような問題を解決させたり、自らを改善させたりする方法を発見することだ。慎重に人選された科学者グループが、ひと夏一緒にそれに取り組んだなら、重要な進展がこうした問題の一つ以上でなされうると、我々は考えている」

半世紀以上前のこの宣言を振り返ってみると、少しばかり楽観に思えます。今日、アメリカ人工知能学会は、AIを「思考や知的行動を支えるメカニズムと、機械内部におけるそのメカニズムの具現化の科学的理解」と定義しています。しかし、コンピューターに知能を持たせることに向けて、多大な計算力を駆使し、努力を払ってきたにもかかわらず、人工知能は、猫と犬を見分けるといった、3歳の子供ができることさえまだできません。夫の座を維持し続けている男性だったら誰でもできることができない。言葉のニュアンスを理解しないのです。たとえば、「ごみのバケツは外に出してあるのかしら」という質問が、実際には、「ごみのバケツを外に出して」という催促であり、それも、「いいこと、もしごみを出さなかったら・・・」という意味が言外に隠されていることを理解しません。インターネットで検索して、ヒットしたものを見て、「なんだってこんなものが出てくるんだ。探していたものと、全然違うじゃないか」と思うことがありますよね。言語の翻訳プロセスもいいかげんです。どう見ても、翻訳している言葉の意味など全く理解していません。人間の知能を備えた機械を作る試みはたえずなされているものの、できる限りの処理能力とメモリーを使い、小型化をしようとも、その実現は依然として夢のまた夢です。なぜでしょうか。

人工知能には二つの種類があります。「弱いAI」と「強いAI」です。弱いAIは、コンピューターと聞いて私たちがすぐに思いつくものです。それは、問題解決や推論課題のためのソフトウエアの使用を指しています。ヒトの認知能力を網羅してはいないが、人が持たない能力を持っている場合もあります。弱いAIは、私たちの生活にゆっくり浸透してきました。AIのプログラムは、携帯電話やEメール、ウェブ検索を管理しています。銀行は不正処理を見つけるために、医師は診断の補助と患者の治療のために、海水浴場の救助員はビーチを監視して助けを必要とする遊泳者を見つけるために、AIプログラムを使っています。私たちが大きな組織に電話をしても決して本物の人間にはつながらないのも、番号を押してではなく音声で答えることができる音声認識を利用できるのも、AIのおかげです。弱いAIは、チェスの世界チャンピオンを打ち負かしたり、実際、たいていのアナリストよりも上手に株を選ぶことができます。しかし、1997年にチェスの世界チャンピオンのゲリー・カスパロフを破ったIBMのコンピューター、ディープ・ブルーは、人間よりも賢いから買ったのではないことをジェフ・ホーキンズは指摘します。ディープ・ブルーが勝ったのは、人間よりも何百倍も速かったからです。1秒間に2億もの局面を評価できたのです。「ディープ・ブルーはチェスの歴史を理解していなかったし、対戦相手について何も知らなかった。チェスはしたが、チェスを理解していなかった。計算機が、計算はするものの、数字を理解していないのと同じである」

一方、強いAIは多くの人たちの心を奪います。「強いAI」は、カリフォルニア大学バークリー校の哲学者ジョン・サールによって生み出された言葉です。その定義は、機械は物事を理解し、自己認識できるようになるという前提に基づいています(もっともサール本人はそういう前提は想定していない)。「強いAIをもってすれば、コンピューターは心の研究における単なる道具にとどまらない。適切にプログラムしたコンピューターは、正しいプログラムを与えられたコンピューターが理解したりほかの認知状態を持ったりすると文字通り言えるという意味では、まさに心だ」。すべての意識状態は低次の脳の処理によって生じるとサールは主張します。したがって意識は創発的現象であり、物理的特性であり、体全体からの入力の合計です。意識は脳をいたずらによぎるものから忽然と生じるわけではありません。意識は計算の結果ではありません。人間の知性を持つ、思考する「心」を創り出すためには、肉体と、肉体の生理機能とその入力がなければならないのです。